コンキスタドールの故郷トゥルヒージョ その1(スペイン)
そんなエストクレマドゥーラが再び歴史に名を刻むのが、レコンキスタ完了のグラナダ陥落の同年に、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」しにわかに沸き立った新天地への遠征。
新天地に到達したスペイン人たちは、ペルーやチリの征服、アマゾン川の探検などで南米においては憎い侵略者として語られますが、エストゥレマドゥーラにおいて、彼らは郷土の英雄です。
今日はそのエストゥレマドゥーラから、コンキスタドール(征服者)たちの故郷トゥルヒージョを紹介したいと思います。
トゥルヒージョは、エストゥレマドゥーラ地方の中心に位置し、小高い丘の上にあります。
河川が豊富なスペインにあって、近くに大きな川がないこのあたり、町を見下ろす城砦から周囲を見渡すと、胸が詰まるほど荒涼とした土地が広がっています。
地平線から敵が来ても夜なら篝火、昼なら土ぼこりですぐ分かるといわれるほど、周囲には障害物となるような町などもなく、見渡す限りが畑と牧草地です。
このトゥルヒージョから「新天地」を目指したコンキスタドールたちの多くが、貴族の次男坊や三男坊。
故郷は決して豊ではなく、先祖の財も継げない彼らが、一攫千金を夢見て、海に船を出した情熱はさもありなんと、この町にやってくると強く感じます。
トゥルヒージョの出身で、最も著名なコンキスタドールといえば、「憎きピサロ」と中南米の国々で苦々しく呼ばれるフランシスコ・ピサロやアマゾン川全域を航海したフランシスコ・デ・オレリャーナの両名でしょう。
丘陵に築かれた町の頂上近くにそのピサロの生家がありますが、
そうと言われなければ分からないほどひっそりと町の中に溶け込んでしまっています。
11月の夕陽に照らされたピサロの出発地の素朴さ。
3人の子供をもうけ、故郷に戻ったのはたった一人。
憎い憎いと言われるピサロ。威風堂々とした大聖堂前の像が、ふと寂しげな表情に見えたのは気のせいでしょうか。
(山岸)
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