国:イギリス
2013年1月 8日 (火)
2013年1月 4日 (金)
謹んで新年のお喜びを申し上げます
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
皆様のご健康とご多幸を、心よりお祈り申し上げます。
2013年もユーラシア旅行社とロマネスク美術や北スペイン、サンティアゴ・デ・コンポステラへの旅をよろしくお願いたします。
(担当一同)
>イギリス、フランスやイタリアの小さな村や教会へ…ヨーロッパの旅はこちら
写真:イギリス、キルペックのセント・メアリー&デヴィット教会の扉口より
昨年の竜もそうですが、蛇はキリスト教美術ではあまりいい図像ではないのですが、
土着の信仰や異教の装飾も飲み込み発展したイギリスの教会には、こんな可愛らしい蛇(きっと…)がいました。
(柱の左のほうの彫刻です。頭が下向き)
2011年1月19日 (水)
ヨルダン川洗礼(フランス、イギリス、スイス)
モンブランの回で、あちこちの「洗礼」の場面を描いた柱頭や絵を集めたので、せっかくですからまとめてご紹介したいと思います。
まずは、フランスのラヴァルダンにあります、サン・ジュネ教会のフレスコ画です。
水の部分が色褪せてしまっていることもあり、
川というよりも高機能シャワーのようです。
(あるいは洗礼者ヨハネの手にある壷から大量の水があふれ出ている図の様でもあります。)
脇の天使はもう着替えを広げて待っていますが、
タイミングが早すぎてびしょぬれになりそうです。
続きましては、スイスのツィリスから。
おなじみ?サンマルティン教会の天井画からの一枚です。
キリストの生涯をモチーフにしてあるので、この手の話題では大体絵があるのは結構なことです。
さて、こちらがその一枚なのですが、今度は水位の低い川にキリスト一人が立たされているような構図になっています。
一つ一つの場面が太い飾り罫で囲われているのですが、この場面では白い植物の連続の中をぶち抜きで聖霊をあらわす鳩が降りてきています。
ここにも着替えかタオルを持った天使がスタンバイしています。
駆け寄るようにやってきています。
ん~…それにしてもイエスさん寒そう。
最後にもう一枚、今度はイギリスからです。
2010年12月20日 (月)
楽しい食卓・その3「最後の晩餐」(イギリス、フランス)
楽しい食卓シリーズ、3回と4回は最後の晩餐を紹介します。
最後の晩餐そのものについては、以前イースターの特集で紹介しました(こちら)ので、どんどん作品を紹介していきたいと思います。
最後の晩餐の描き方は、ローマ人の食卓風景のように寝そべった姿に始まりました。
寝ていた人物たちが、現代の私たちもするように椅子にかけ食卓に着くようになります。
同時に、13人の事物の動きとともに、重要なのが食卓に上るものです。
本来は、この食事風景は過ぎ越しの日の模様ですから、子羊の肉を食べているはずなのですが、聖体拝領の起源を伝えるため、キリストを象徴する魚、もしくはパンとぶどう酒が強調されるようになります。
(写真はフランス、ノアン・ヴィックのサン・マルティン教会の最後の晩餐の様子ですが、切り分けたパンがピザみたいです。
この時代、まだフォークはないのでナイフばかりが目立ちます)
ちなみに、最後の晩餐では重要な「こちらを向いている人物たち」と、「食卓の上のもの」という、現実では同時に見ることが出来ないものを、2つを同時に私たちに示すため、写実的ではなくなってしまいます。
けっして遠近法が分からないわけではなく、人間の視界や現実を超越した世界を描くためこうなっているのだそうです。
2010年1月27日 (水)
魅惑の持送り その1 ノーズグリムストン/セント・ニコラス聖堂(英国)
前にノースグリムストンの洗礼盤についてここに書きましたが、実は洗礼盤以外にも気になって仕方のないものがこの聖堂にはあります。セント・ニコラス聖堂の外壁、屋根の下にある・・・それは「持送り」。
屋根の張り出した部分を支えるこの「持送り」に施された彫刻。
実に不思議です。
高いところにあるのでなかなか見え辛く、写真を撮る時もかなりズームにしないといけません。
左の写真、なにやら人の顔のようなものがついている。
カメラのズームを最大にしてみたのがこちら(右)。これは「シーラ・ナ・ギグ」と呼ばれるもので、女性が自らの女陰を両手でがばっと開いているという大胆極まりないポーズ。
かつてアイルランドの古い聖堂でも良く見られたものだそうですが、そのあまりの大胆さにビクトリア朝時代にだいぶ破壊されてしまったそうです。豊穣のシンボルではないか、もしくは両手で開いているのは実は胸であり、心臓を見せているポーズなのではないかなどなど諸説あるようですが・・・。キリスト教以前の異教の名残を感じる、実にミステリアスな彫刻です。
2009年12月28日 (月)
ここだからいえるホントにあったフォントの話(その3) ノース・グリムストン/セント・ニコラス聖堂(英国)
英国、ノース・ヨークシャー州ヨークから北東に半時ほどの場所にノースグリムストンという小さな村があります。 ここには12世紀に造られたノルマン・ロマネスクの教会『セント・ニコラス聖堂』があります。緑の木々が茂る村にひっそりと佇んでいる小さな教会なので、初めて訪れる人はなかなか見つけられないでしょう。私も見つけるのに苦労しました。あまりにも木が茂っていて、前を何度か通り過ぎてもその奥にある教会が全然見えなかったので。
こちらの教会の『フォント』は、教会の歴史よりも古い、12世紀以前のもの。ノースグリムストンという名前から、もともとはノルマン以前、アングロ・サクソン族の農地もしくは開拓部落であったと思われる場所なので、この『フォント』はアングロ・サクソン様式、もしくは初期ノルマン様式であるといわれています。英国版プレロマネスクみたいなものでしょうか。
教会の入口である南側のポーチから中に入ると、扉を開けてすぐの左手に、突然置かれている大きな『フォント』。置かれている、というか既に床と一体化しているといった感じです。写真を見て頂ければわかると思いますが、床の部分の石と台座がどう見てもくっついており、さらに台座と『洗礼盤』部分もくっついているようなので持ち上げて運ぶことはもはや不可能。赤いカーペットも洗礼盤の台座に合わせてラウンドカット。礼拝用の椅子はもちろんあとから造られたものなので、洗礼盤をよけるような不自然な配置に。半端ない存在感です。
セント・ニコラス聖堂の『フォント』はその素朴な彫刻が特徴です。全体的に彫が浅く、ちょっと稚拙で技術的に未熟な感じがし、なんともいえないほのぼの感をかもし出しています。彫られているのは洗礼盤には珍しい「最後の晩餐」のシーンですが、弟子のポーズがほぼ全員一緒という大胆なデザイン。レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐とこの最後の晩餐が同じシーンだなんて信じられないくらい、弟子それぞれの個性がなく、一体どれがだれなのか、もはや判別は不可能。髪型も表情も見事に同じ。キリストだけは一際大きく、十字の形の光輪を背負っているのでわかるけれども(上半身の堂々たる大きさに対し、クッションの上にちょこんと置かれたキリストの足があまりにも小さくて可愛いのは必見。)あとは、聖人画などで比較的識別がしやすいペテロですらどれなのか。
でも、実はよーく見てみると、あるんです、微妙な違いが。弟子達の左手は胸に当てられており、右手はテーブルに。その右手をじっくり観察すると・・・持っている食器が違う。ナイフのようなものを持っている人もいれば、フォークの人もいる様子。カップに見えるものも・・・。表情も、ちょっとすまし顔で食べている弟子から思い切りほおばっている人まで、微妙な変化が。そして1人だけ実は髪型が若干違う人物が・・・。これはマタイによる福音書によるとみんなよりちょっとお金持ちだったという、ヨハネなのではないかといわれています。お金持ちだからお洒落しているのでしょうか。
そして最後の晩餐といえば気になるのはあの人です。
2009年12月14日 (月)
ここだからいえるホントにあったフォントの話(その2) イギリスフォント
英国でロマネスク芸術が開花したのは大陸より少し後の11世紀。
ノルマンコンクェストによってフランスよりもたらされました。
英国のロマネスクはフランス、スペインの影響だけでなくケルト、アングロ・サクソンの流れも汲んでおり、独特の面白さがあります。
ただ、15世紀の宗教改革により多くの教会が破壊され、再建されたのでロマネスクの建築として残っているものは多くはないです。
そんな過酷な歴史を潜り抜け、英国のロマネスクの素晴らしさを現在に伝える存在といえば・・・・そうです。『フォント』です。
小さくて小回りのきく(?)彼らは、ときに農家の家畜の飼い葉桶として身を潜めつつ、現在までしぶとく存在し続けてきたのです。
英国でロマネスクが流行った頃、洗礼といえば全身水に浸かるタイプのものが主流でした。
ですから、英国に残るロマネスクの『洗礼盤』はとにかく巨大なものが多く、その側面に施された彫刻は見ごたえ充分。英国でロマネスクを巡る、というとタンパンや柱頭よりも俄然、『洗礼盤』が注目されるというのも頷けます。
「教会の建物は17世紀のものだけど、洗礼盤はずっと古い11世紀のもの」という教会は、英国にはいっぱいあります。
「重いから持ち去るのもなんだし・・・」という理由でリフォーム後も居座り続けた洗礼盤、落雷で崩壊した大聖堂の天井の瓦礫の下から逞しく生還した洗礼盤、小さな村の小さな礼拝堂に人知れず佇む洗礼盤・・・。
英国ロマネスクといえば『洗礼盤』なのです。
そして、『洗礼盤』ロマネスクの最大の醍醐味といえば!!
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