2009年11月26日 (木)

マヤ遺跡いろいろ ~ベリーズ編~

みなさん、こんにちは。ピラミッドより愛を込めて、高村"今夜もマヤのイルミネーション"陽子です。マヤ遺跡で有名な国というとグアテマラやメキシコが挙げられることが多いのですが、今回はその2カ国に挟まれたベリーズにある私のお気に入りの遺跡を紹介したいと思います。

001  せっかく遺跡に行くのなら、その規模が大きい方がいい!という方は多いのではないでしょうか。グアテマラであればティカル、メキシコであればカラクムルがそれぞれマヤ最大級の遺跡として知られていますが、実はベリーズにもそれらに負けず劣らず大規模な遺跡があります。それがカラコル遺跡です。幹線道路から2時間半ほど一部未舗装の道を入ったところにありますので規模の割には比較的観光客が少なく、ピラミッドを独り占めできるところも遺跡好きにはたまりません。

 カラコルでは先古典期の中期(紀元前600年頃)から人々が住み始めた後、紀元331年(349年という説も)に初代の王朝が開かれ、その後少なくとも28代の王がいたとされています。最盛期は紀元650年頃で、他のマヤ低地域の都市との交易によって栄え、広さは約100平方キロメートル、人口は6万~10万人にも上ったといいます。現在のベリーズの人口が約30万人ですから、その繁栄ぶりが伺えます。カラコルで最も大きな建造物は高さ43mのカアナと呼ばれる神殿で、古典期マヤの中でも最も精巧な建物の一つとされ、現在でもベリーズ国内にある建物の中では一番の高さを誇っています。頂上にはエリート層家族の住居があったといわれていますが、偉い人が庶民を見下ろすというのは昔から変わらないことのようです。このカアナ神殿があった場所が当時のカラコルのセンターで、ここから各地に26本のサクベ(道)が各地に放射線状に広がっていました。

 紀元前3世紀頃から建てられた木製リンテルの神殿はカラコルでも最も古く、また最も長期間使用された建物で、ここからは水銀が発見されています。

002_2  カラコルの歴史の中で最も興味深いのが562年です。球戯場にあるモニュメントには、この年カラコルはカラクムルと同盟を組みティカルに勝利したということが刻まれています。それ以降、永きにわたってカラクムルと密接な関係を続け、カラクムルからやって来た使者の姿がステラ(石碑)にも残っています。直線距離にして約200kmも離れたカラクムルと同盟を組むということは、大きな都市がその近隣の都市を衛星都市や従属都市として従えていただけではなく、より大きなネットワークによって大都市間の攻防が繰り返されていたということで、さながら日本の戦国時代のような絵が思い浮かびます。

 これだけ繁栄したカラコルも、8世紀の終わりまでにはその歴史を閉じることになります003 が、他の都市同様にその理由は明らかではありません。本格的に発掘が始まってからまだ日が浅いこともあり、遺跡の多くはまだ土の中に眠ったままで、カンボジアのタ・プローム遺跡のように、建物の上には大木が茂っています。発掘しようとすると、その木々を切り倒さなければならず、ジャングルを残すのが先か、歴史を解明するのが先かという難しい選択を迫られることになります。どちらも満たすためには、最先端技術が開発されるのを祈るしかないのかもしれません。(高村)


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