世界の街角一丁目 第18回(魅力溢れるボリビアへ バジェグランデ)
みなさん、こんにちは。アンデスのマイレボリューション、岩間“マイドリーム”裕子です。今年も残すところあと2週間。早かったな~、2010年。思い返してみれば、幕開けは南アフリカ、最南端のアグラス岬で日の出を拝み、パタゴニア氷河の大崩落や圧巻だったリビアのローマ遺跡。ペルーのインティライミのお祭に、灼熱の太陽に照らされた夏のチュニジア、白い世界ウユニ塩湖に満開のジャカランダ、そして先日帰国したエチオピア・・・。
圧倒的にアフリカ大陸に足を踏み入れている気がしますが、今年私が一番多く訪れた国は実はアフリカ大陸ではなく、南米のボリビアでした。そんなわけで今日のブログは魅力溢れるボリビア第二弾!!バジェグランデ編です。
ボリビア第二の都市、サンタクルスより約280km。大きな渓谷
という意味のバジェグランデは人口1万人。そんなにいるかな?と印象を受ける街並みは、今まで車窓より見てきた数々のボリビアの街と比べ特にこれといった違いもない、いたって普通の街。そんな街に1967年、1997年と、過去2回にわたり世界で注目を浴びる出来事があったのです。
それは突然入ってきたある人物の死亡を伝えるニュース。その人物とはカストロと共にキューバ革命を戦った英雄、チェ・ゲバラ。
1965年キューバから姿を消し、消息は謎となっていた彼が、1967年10月8日、ボリビア、バジェグランデから57kmほど離れたチューロ渓谷で政府軍と戦闘中に襲撃を受けて捕らえられ、翌9日に処刑されたというもので、遺体はバジェグランデに運ばれ公開されました。その直後に遺体は消えてしまった。秘密裏に埋められたのです。そして2回目のニュースはそれから30年後の1997年7月、キューバとアルゼンチンの合同調査団によってゲバラの遺骨はバジェグランデの旧飛行場から発見されたというものでした。(現在はキューバのサンタクララ霊廟に埋葬)
バジェグランデの街に今も残る遺体が公開されたセニョールマルタ病院洗濯場。埋められ
ていた所には立派なお墓が立てられ、博物館も出来た。けれどそこで見た写真は笑顔がとても印象的なキューバ時代の写真とは違った。当時はキューバのようには人々の支持を受けることが出来ず、ボリビアに入ってからのゲバラの写真はどれもつらいものばかりでした。
40年ちょっとたった今、バジェグランデの街の至る所で見かけた『CHE VIVE』(チェは生きている)の文字。
【革命家は死なず】今でも多くの人の中に生き続けているのだと感じました。
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