2010年12月 7日 (火)

やみつきになる愛らしいマヤ遺跡(メキシコ・グアテマラ)

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みなさん、こんにちは。頭突きは反則だよ、坂岸“サンシャインガール”茉莉です。
先週、池袋サンシャインで催されている「古代オルメカ展」に行ってきました。

昔、初めてメキシコを訪れた際に、メキシコシティにある国立人類学博物館に訪れた際に衝撃を受けました。なんと、私の背よりも大きな石頭がドンッと置いてあるではありませんか。どこに胴体が?と探しましたが、本の説明によると「石頭」のみが、1900年代に入ってから発見されたとのこと。しかも、その石頭の表情の愛くるしいこと、、ブスっとふて腐れているような、少し微笑んでいるような、そんな表情豊かな「石頭」でした。

P2そこで、初めて知った「オルメカ文明」(紀元前1200年頃~紀元前400年頃)。有名なマヤ文明よりも先史であるこの文明は、未だ謎だらけだそうです。オルメカ=「ゴムの国の人々」という意味で、オルメカ文明が栄えたメキシコ湾岸は、ゴムの産地だったそうです。
「謎だらけ!?」と聞くと、好奇心が駆り立てられるものですが、本当に様々な刃説が出ているようで、真実は闇の中だそうです。

●この石頭は誰? 
実際に本当に誰だかは、不明だそう。英雄だったとか、支配者だったとか、球技選手だったとか・・・

●この石頭はどうやって運んだ?
石頭の石は玄武岩、この玄武岩が採れるのはウシュトラ山脈というところだそうで、発見された遺跡からは100km以上も離れているそう。水路で?陸路で?平均8トンの重さの石頭、古代の人々はどうやって運んだのでしょうか。ちなみに中米には、「馬」という家畜は存在しませんでした。鉄も。
今回の、オルメカ展には本物の「石頭」は来ていませんでした。レプリカです。確かに8トンもの石を、運ぶ労力は計り知れません。(さまざまな理由があるでしょうが)現代人でも、運搬が難しい石頭、一体どうやって運んだのでしょうか。

●オルメカ文明はなぜ滅んだ?
これも、他の都市国家が攻めてきた等、やはり様々な説があるそうです。

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 このように、中米の母文明とも呼ばれるオルメカ文明。しかしその後のサポテカ文明、モンテ・アルバン、テオティワカン、マヤ、トルテカ・・・など全てにどこかしらの共通性があるそうです。
私もメキシコをはじめ、グアテマラ、ホンジュラスで様々な遺跡(主にマヤ)を見てきました。そしてその装飾品、美術品、を見ていると何か共通性を感じずには居られません。残酷な生贄を描いた石彫も、マヤ文字も、神々も、私にはユニークで、可愛く、ちょっとふざけたように見えて、大好きなんです。

 そういえば、オルメカ展の最後に、こんな言葉が書いてありました。

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2012年に終わるとされる「マヤ暦」。第5の太陽の時代は、紀元前3114年に始まり、2012年12月22日に終わりを迎えるそう。それを考えると、オルメカの時代に生きて、石頭を作った人々も、現代の私たちも、同じ時代を生きた!ということになります。なんだか、感銘を受けました。

 オルメカ文明にご興味がある方!是非、メキシコ湾岸にあるラベンダ遺跡公園に行ってみて下さい。そこには大きな大きな想像を絶する石頭が、待っています。(坂岸)

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